スタッフのリレーエッセー (5) 当事者と関わりがなくても(山岡万里子)

11年前、神楽坂の小さな洋書ライブラリーで1冊のペーパーバックを手にした瞬間が、すべての始まりでした。『Not For Sale』、「(人は)売り物ではない」という題名のその本は、現代によみがえった奴隷制度について語り、人身取引が世界中で起きている現実に警鐘を鳴らすものでした。

騙されて売春婦となったカンボジアの幼い少女、わずかな借金のせいで親戚ごとレンガ工場の奴隷労働者となったインドの家族、出稼ぎに行くつもりで実はイタリアへ売り飛ばされたモルドヴァのシングルマザー、誘拐され兵士という名の殺戮マシンになることを強制されたウガンダの少年……。翻訳者の私はその悲惨な実話に衝撃を受け、と同時に、被害者の救出と再生を支援する多くの人々の行動と言葉に勇気と希望を与えられ、この本を自ら翻訳して世に出すことで、日本の人々にもこの問題を知らせたいと出版社に売り込みました。

3年半かかって訳書『告発・現代の人身売買』(朝日新聞出版)が発行され、ホッとしたのもつかの間、著者のデイヴィッド・バットストーンが、訳書出版に合わせ来日すると言ってきたのです。あわてて編集者と共に講演会を企画し、日本の関連NGOや法律事務所、ビジネス界の人々との面談をセットし、取材、記者会見、ラジオ出演などの日程を、関係者の協力も得て調整しました。バットストーンは2007年の著書出版と同時にやはり「Not For Sale」という名の団体を立ち上げており、2011年の来日の際に、その日本支部をやらないかと私に声をかけてくれました。私は翻訳者としての仕事にいったん区切りをつけ、それまで無縁だったNGO活動に、全くの手探り状態で飛び込みました。

こうして始まったノット・フォー・セール・ジャパンは、日本でも数少ない、人身取引をテーマに活動している団体です。でも決まったオフィスも有給職員も置かず、スタッフは皆ボランティア。「やれるときに、やれることを、やれる人が、やる」をモットーとし、活動はかなりゆるいものです。それでも、年間十数件の講演やイベントを企画運営し、SNSや各種メディア、自前の啓発用資料を通して情報発信を行うことで、多くの人に人身取引の実態を知らせています。

またここ数年は「人身売買禁止ネットワーク」の運営委員、「消費から持続可能な社会をつくる市民ネットワーク」の共同代表として、政府との意見交換、セミナーの企画運営、国際人権条約に関するNGOレポートの作成、「企業のエシカル通信簿」調査等に関わっています。その分NFSJ単独の活動が少し減ってきてはいるものの、社会に与えるインパクトは大きくなっていると自負しています。

NFSJは被害者や加害者、いわゆる当事者と関わる場面がほとんどありません。学生や企業や政府の方を含め、もっぱら一般の人たちに向けての啓発活動や協議です。「当事者と関わらずして、現場を見ずして、真の問題解決に向けた啓発活動などできるのか?」という疑問は、実は自分でも常に抱えています。

でもそんな時に思い出すのは、アメリカ人女優ミラ・ソルヴィノさんの言葉です。2011年に私も参加したNFSのグローバルフォーラムに登壇したソルヴィノさんは、「人身売買の被害者に実際に会う人は、そう多くいるわけではない。だとすれば、あなたが被害者について話さなければ、いったいだれが話す?」と語ってくれました。当事者支援を行っている他の団体から日常的に話を聞き、国内外の報告書や報道、本や映像から情報を得ることで、少なくとも日本における人身取引問題については、全体像をある程度まで把握することは可能です。

まずは知ること。知ってそのあとどう行動するかは、その人次第。でもとりあえず、まずは知ること。そこからすべてが始まると思っています。私にとってのあの1冊の本のような存在に、NFSJがなれたら…と願っています。

今日7月30日は国連が定めた「人身取引反対世界デー」。NFSJのこのウェブサイトが開設されてから、ちょうど1年です。ウェブサイトのトップページにここ1年変わらず掲げてきたストーリーにも、もしまだだったら、ぜひ目を通してみてください。これをSNSでシェアしたり、お友達や家族に話すこと――その1つのアクションが、問題解決への貴重な貢献です。

頼りない代表ですが、一緒に歩んでくれるボランティアスタッフの面々、関係者・支援者の皆さまに支えられていることに、心から感謝しています。これからもよろしくお願いいたします。