スタッフのリレーエッセー (2) あなたに生きていて欲しい!(栗山のぞみ)

人身取引の被害者に出会ったこと、あるいは声をかけられたことがあるでしょうか?

私は、あります。多分あると思います。

30年近く前のこと。我が家にホームステイしていたタイ人の留学生ソムシリさんが勉学を終えて帰国することになり、成田空港に見送りに行きました。そのとき、二人のアジア系女性に声をかけられました。私ではなく、一緒にいたソムシリをタイ人と見て声をかけてきたのです。ソムシリに聞くと、彼女たちは典型的な北タイの人。(ソムシリもチェンマイ出身で典型的な北タイの顔なので彼女たちにもタイ人だとわかったのでしょう、とのこと)彼女たちは逃げてきたと言っている。国に帰りたい。しかし、航空券もパスポートもない、と。ソムシリの乗る飛行機の時間は迫っているし、私ひとりではタイ語も通じないし(彼女たちは、ほとんど日本語を話せませんでした)、どうしたものか……と思いました。

ソムシリと別れた私はどうしたのか。実はほとんど記憶がありません。確か、空港のガードマンのような人に「あそこにいる人たちが困っているようなので、助けてあげてください」とかなんとか言って立ち去ったのだと思います。

その後長い時間を経て、2011年にNFSJを立ち上げて間もない山岡万里子の講演を聞く機会がありました。そのとき記憶の奥に埋もれていたあのシーンが蘇ってきました。「あの二人は人身取引の被害者だった!」。とくに一人の方、必死にソムシリと私に話しかけてきた女の子の様子を思い出しました。褐色の肌、黒髪のおかっぱに黒い眉と必死な黒い瞳が印象的でした。服装は白っぽいTシャツ、ショートパンツをはいていて足は素足にビーチサンダルか安っぽいミュール。空港にいるのに、旅行鞄のような荷物は持っていませんでした。

あの彼女たちはその後どうなったのだろう……と今も考えています。人身取引の被害者であった可能性はかなり高いはず。故郷に帰ることはできたのか。それとも、ブローカーに見つかり、表向きは飲食店を装った売春宿か何かに連れ帰られてしまったのではないだろうか。その先は想像したくないけれど、人身取引の実態を学んだ今は、想像できます。心も体もボロボロになり、どんな絶望的な日々を送ったことでしょう。

きっと当時の私たちと同じ20代前半だったはず。まだ、生きているだろうか。生きていて欲しい。せめて、故郷にたどりついていて欲しい。

こう思うと嘆き、疼きが湧いてきます。しかし私は、過去の自分を責めることは、もう、していません。

人身取引という犯罪があること、その被害者はどのような人なのかを知ったからです。

この日本にも人身取引があることを私は知りました。加えて、日常生活の中で世界じゅうの奴隷労働やあらゆる搾取と無関係でいるのはとても難しいこと、被害にあった人は心身ともに大きな傷を負うこと、たとえ救出されても自分を責めてしまったり、自己肯定感を持てずに苦しむこと、家族や社会に受け入れられることが難しい場合も多々あることを学んできました。

知ることは楽しいことばかりではありません。恥、悲しみ、絶望感、怒りなどを味わうこともありました。もちろん、今でも。でも、知らないままでいるよりも、知っていることは私を生かす力になりました。今、彼女たちのような少女たちに出会ったら、どこにどうやって連絡をとるか、誰に相談すべきかを知っている。それは私の存在をこの社会の中で少しだけ豊かにしてくれています。

また、このことに気づき動き出している人たちと出会っていることも希望です。海外にも日本にも多くの団体があり、人身取引の実態を調査したり、人身取引犯罪のある地域に働きかけたり、被害者救済を行ったり、被害者になりがちな人々に働きかけ別のビジネスを起こして予防したり、あるいは政府や警察に実態を知らせて協働しながら対策を立てたりしています。

私たちNFSJは、人身取引をなくすことを目的に、まず、この犯罪について広く皆さんに知っていただくことを主な目的として活動しています。また、他の市民団体とつながり、人身取引のない社会を目指して政府や企業に働きかける提言活動も行っています。 この動きに加わるために、人身取引の専門知識は必要ありません。ただ、「すべての人が自分らしく、生き生きと生きる世界を見たい」という願いがあれば十分です。その世界を見るために、ぜひ、仲間に加わってください。

栗山のぞみ